ハイブリッドカーの落とし穴

私はついこの前まで、ディーゼル車に乗っていた。既に過去形となってしまったが、今はガソリン車に乗っている。
自ら気に入らなくなったり、調子が悪くなったから買い換えたわけではない。
県の規制である「ディーゼル自動車の運行規制」によるものだ。元をたどれば「自動車NOx・PM法」である。
規制が適用される自動車でも、知事が指定する粒子状物質減少装置を装着すれば、県内を走行できるとなっているが、それなりの費用が掛かるし、燃費や馬力も落ちるだろう。 更には、粒子状物質減少装置を装着したとしても自動車NOx・PM法対策地域内に登録している自動車は、同法による車種規制の適用により、一定期間猶予の後、車検が通らなくなるのだ。
それを車検に出したときに「次の車検からはもう通らなくなります」とディラーから言い渡されたのである。
頑丈で長く乗ることの出来る車を買ったにもかかわらずこの様な仕打ちには納得が行かないが、法には勝てないのである。
それにも増して、最近の地球温暖化防止、二酸化炭素排出量削減を前面に打ち出したハイブリッドカーの大ヒットである。減税の対象ともなり補助金まで出してくれたものだから生産も追い付かないほど売れまくっているようだ。
二酸化炭素の排出を極力抑えられるから「エコ」です。ということをメーカー側は前面に打ち出しているが、これって本当に「エコ」と言えるのだろうか。ハイブリッドカーに乗り換えればそれで「エコ」と言えるのだろうか。私としてはとても疑問です。
買い換えればその車を作るために膨大なエネルギーが使われているはずで、二酸化炭素の排出量だってかなりのものだと思うのだが・・・。頑丈な車を長い期間乗り続けることこそ「エコ」だと思うのだが・・・。
ハイブリッドカーは、(電池+モーター)+エンジンの異種駆動混合で走る車だ。自動車メーカーとしては、電池とモーターの開発が最重要課題となっている。
電池は現在、ニッケル水素電池を使っているが、近々、携帯電話の電池としても使われているリチウムイオン電池に変わっていくようである。その資源を巡って世界中で争奪戦が始まっているとか・・・。
一方、モーターには効率の良い永久磁石が使われている。これを作るのにだって色々な素材を炉の中に入れて溶解し、合金を作って粉砕してから整形する工程がある。かなりの二酸化炭素を排出しているに違いないのだ。
私は、この電池とモーターの生産からリサイクルまでが非常に気になっている。「エコ」という言葉に翻弄されている人々にとっては安くなればなるほど良いかもしれないが、私としてはそこまで考えて「エコ」を判断したいのだ。自動車メーカーに聞いた話では、電池のリサイクルは電池メーカーに任せているということであるが、そんな無責任で良いのだろうかと思う。作るだけ作って売るだけ売ってリサイクルの仕方も分かっていない。大量に作って大量に消費し、大量の廃棄物に埋もれてしまっては元も子もないではなか。
環境に優しいリサイクルとか、資源を守るリサイクルとかいってペットボトルや空き缶を一生懸命分別している我々の知らないところで、ハイブリッドカーの電池のリサイクルは、きっちり確立されているのだろうか。実は、全くと言っていいほど確立などされていないのが現状なのだそうだ。
この様な現状がある限り、私としてはまだまだエンジン車で燃費を最高まで引き出せる運転を心掛けて乗るつもりだ。実はこれが一番難しい。
足先の力加減が非常に難しい。ゆっくり発進し、ゆっくり加速し、一定の速度を長い時間保つ。この運転が出来れば、かなり燃費が抑えられることは今まで経験済みである。幸運にも、私の車の運転スタイルというか行程がこの方式を使うことが出来る。
車が空いている時間帯しか乗るつもりはないし、高速道路を使うからだ。更に今の車にはクルーズコントロール機能が搭載されている。
実はこの運転スタイルは、最もハイブリッドカーとしては効率がよろしくないようである。適度に加速し、適度に止まることで充電が成されるからだ。
ハイブリッドカーの効率を十分に発揮できない状態で買うつもりは無い。
自分の感覚で手足のように使いこなし、自分の筋肉の一部のように操ることが出来るのはまだまだエンジン車であろう。
生産からリサイクルまで、きっちりと落とし前を付けてくれるまで、ハイブリッドカーには絶対に乗らない。
私はまだまだ燃焼機関のみで走るエンジン車に乗るつもりだ。

※下記参考文献は、私の意見と同様なことが書かれているので是非読んでもらいたい一冊です。

【参考文献】 「ハイブリッドカーは本当にエコなのか?」 著者:両角岳彦 発行所:宝島社新書

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自然保護運動に思うこと

私達が普段から使っている言葉としての「自然」とは何だろうか。それは、「海」であったり「山」であったり「里山」であったりと千差万別である。
しかし、そういった土地が本当に「自然」なのかといえば、個人の考え方にも寄るがそうではない場合がほとんどである。ともすれば、公園やガーデニングを自然と捉える人もいるだろう。
護岸整備された海は既に自然とは言えないし、人工的に植林された山ももはや自然ではない。本来、「里山」も人工的に切り開かれた土地なのでそれもまた自然とは言えない。
そこで「自然を大切にしよう」とか「自然を保護しなければならない」とかいう自然保護運動は正常に機能しているのかという疑問が生じる。
自然保護運動として最も知られているのは「ホタルの復活」や「里山の復活」である。他にも「綺麗な蝶の保護」や「クロメダカの保護」などその対象となるものは様々だ。
それら自然保護運動に反対している訳ではないが、果たしてそれが真の自然保護なのだろうかという私なりの疑問があるのです。
何故「ホタル」なのか。何故「綺麗な蝶」なのか。では、目立たなくてあまり知られていない生き物はどうなるのだろうか。実は、その生き物は生態系にとって非常に重要な位置を占めているとしたらどうなのかということである。
結局、この「自然保護運動」とやらは、実は個人的な昔ながらの景観の懐かしさというか、原風景というものを取り戻したいという欲望から来ているものだとしたらどうだろうか。
個人的な押しつけ以外の何物でもないのではなかろうか。
そもそも「真の自然」というのは、人の手が全く入っていない土地のことであり自然保護とは、それを継続するものでなければならないはずである。わざわざお金と人手を掛けて行うものではないはずだ。
「里山」の復活などということになれば、どれだけの金と人手が必要となるかを考えれば一目瞭然である。
「里山」は日本の原風景として最近になってもてはやされ始めたようだが、それは何故なのか。
その時代に育った人たちが懐かしさを憶え、そんな風景をまた見てみたいという個人的な欲望から来たものとしか考えられない。
「里山」は、確かにその時代には必要不可欠な土地だったかも知れない。火をくべるための薪を取ったり、椎茸栽培に使う土地だったりと色々な面で生活に役に立つ用途が多様に有ったはずだ。
しかし、今の時代にその様な生活をしようと思う人が居るかといえば疑問であるし、その様な生活をするとなれば、かなり大変なことになるはずだ。
燃料は石油に頼り、椎茸だって工場で大量生産される時代である。時代は常に変化しているのだ。
そもそも自然との共生は人間にとっては無理なのであるから、まだ一握りに残っている手付かずの自然をもう壊すのを止め、立ち入らないことでしか「真の自然保護」は無理だといえる。
もう一度「自然保護運動」とやらを見直してみる必要がありそうだ。

■参考文献:祥伝社新書:「自然との共生」というウソ 著者:高橋敬一 発行所:祥伝社

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照明について考える

住宅の夜間やオフィスなどで我々が何気なく使っている照明について考えてみる。
照明の元となる光の種類は、光源別に分けると3つに分けることができる。「燃焼発光」「放電発光」「電界発光」である。
各々、どのようなものかというと・・・・

■燃焼発光
言うなれば「火」の光で、焚き火やローソクである。ランプとしてはシリカランプ、クリプトンランプ、ハロゲンランプ等
フィラメントが燃えて光る白熱電球の類だ。光とともに熱を出すので効率は悪い。
波長的には太陽光の持つ全ての要素(紫・青・緑・黄・橙・赤)が含まれるので人間の目には優しい。

■放電発光
蛍光灯や水銀灯に代表される光である。言うなれば「雷」の様な放電がその原理である。蛍光灯の場合、真空にした管内に放電すると、管内に添加された水銀が反応して紫外線を出し、その紫外線が管内に塗られた蛍光塗料に当たって、可視光線が出る。
波長的には、赤・緑・青のみである。

■電界発光
発光ダイオード(LED)に代表される光である。電気的な刺激を受けると電界発光効果によって発光する半導体素子が光を放つ。
波長は、赤・緑・青のいずれか1つだけである。
消費電力は最も低く抑えられ、熱は殆ど出さない。今後蛍光灯に変わる光源として注目されている。

このように、照明の光源は3つの種類に分けられるが、各々一長一短があるようだ。
燃焼発光は、人間の目には優しいが変換効率が悪ので電力も多く使い、発熱するため冷房の負荷にも影響を及ぼします。
最も普及している蛍光灯は、効率も良く電力消費も抑えられ発熱も少ないので、現段階では最も優れた照明であるが、管内に充てんされている水銀の処理については環境に影響を及ぼさないように注意が必要である。
その点LEDは電力消費が最も少なく、長寿命なため今後の照明光源として注目されており実際に製品化もされているが、一般的な照明器具としての普及には少々時間が掛かりそうである。
そんな中、人間の目には優しいが、効率の悪い白熱灯に対して政府が動いた。
2008年4月に経済産業大臣が、2012年をめどに家庭用照明として広く利用されている白熱電球を廃止し、電球形蛍光ランプへの転換を促す方針を示したという報道である。
そのわずか数日後には、業界2位の東芝ライテックが、年間約4000万個製造している一般白熱電球の生産ラインを2010年をめどにすべて廃止すると宣言した。
このように、温暖化対策の一環として、家庭やオフィスの照明で使われる白熱電球について、電力消費が大きくエネルギー利用効率が悪いことから、国内での製造・販売を数年以内に中止する方針を打ち出したのである。白熱電球に比べ消費電力が少なく、長持ちする電球形蛍光灯への切り替えを促す狙いがあるようだ。
(財)省エネルギーセンターの資料によると、確かにオフィスビルにおける照明の割合はバカになりません。

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全世帯が電球形蛍光灯に切り替えた場合のガス削減効果は、家庭からの排出量の1.3%に当たる約200万トンとみている。京都議定書の目標達成に足りない量が3400万トン~2000万トンなので、これで1割弱の削減ができるということである。
あの温かく感じる穏やかな光源である白熱灯の灯りは、もう見られなくなりそうだ。
効率の良い照明器具に転換しようとする試みは素晴らしいことであるが、現在の消費傾向に無駄はないのであろうか。
いやいや沢山あるではなか。
夜のコンビニの照明は目にキンキンするくらいに眩しい。広告のネオンとか、建物のライトアップ・・・・。
色々と削減しなければならないところが沢山あるのでは・・・。その辺の改善を指導する方がよっぽど削減効果が発揮されると思うのであるが・・・。

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ゴーストフィッシング

「ゴーストフィッシング」という言葉がある。「幽霊が釣りをしているのか?」との意味に思われるだろう。内容的にはその通りである。日本語に訳すと「幽霊漁業」だ。
その原因となるものは、「カニかご」や「底刺網」である。勿論、私たち人間が開発した漁獲効率が追求された漁具である。
これらの漁具を定置して、そのままそこに残ってしまうとどうなるか。恐ろしいことが起こる。そこに損傷していない漁具がある限り、永久に獲物を捕獲することになってしまうのだ。
「カニかご」の場合、かごの中には餌となる魚の切り身が入れられる。魚の死臭をを嗅ぎつけたカニは、アリ地獄式の仕掛けに入り込む。一度入れば、そこから出るのは困難である。
普通は漁業者が引き上げるものであるが、引き上げられなければどうなるか。カニは次々と入り込み、餌が無くなる。餌が無くなると、やがて共食いが始まる。その死臭を嗅ぎつけ、またカニが入り込む。この繰り返しである。底刺網も内容としては同じことになる。
放置される漁具の被害はなぜ起こるのか。例えばこういう状況だ。
密漁者が拿捕されるとする。勾留期間か続く間その漁具はしばらくの間引き上げられない。もっと最悪の状況は、密漁者が警備艇に見つかると仕掛けに付いているロープやウキを切断し逃走してしまう。そうなると仕掛けがどこに入っているか解らなくなる。その仕掛けは永遠にそこに残ることとなってしまう。
このように使い方を一歩誤れば、漁業資源にとってはとんでもない凶器と化すのだ。密漁を野放しにすることは出来ないが、摘発すれば幽霊漁業に陥りかねないのだ。漁業資源の枯渇が心配される中、この様なことは絶対にあってはならない。
そんな中、幽霊漁業防止策として、カニかごの一部に特殊な繊維を使い、海水にしばらく入れられると破れてカニが逃げられるような構造になっているものが開発されているという。一つの解決策としては最も手っ取り早い方法であろう。しかし、世界的な規模でこの様な対策が成されない限り解決されたとはいえない。
密漁者が潤うからこの様な幽霊漁業が起こってしまう。魚介類にも、肉やその他食料品のように、しっかりとした漁獲ルートの確立とその証明を明確に表示するシステムの確立を急がなければならないはずだ。消費者である我々もその辺を見極める目を養うべきであり、安いからといって安易に購入することを止めればいい。原油高の中、正規のルートでの魚介類が一般よりも大幅に安く購入できるわけはないのだ。安いカニやウニは疑いの目を持つべきである。

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ゲリラ豪雨

梅雨が明けてからというもの、毎日のように雷鳴が轟き、激しい雨が降る。まさに熱帯地方のスコールさながらである。この記事を書いている今もゴロゴロと雷が鳴り時折激しい雨が降る状況だ。
落雷で電車が止まったり、集中豪雨で下水道や川に激流が押し寄せ、人命に関わるような事故も度々起こる。そんな局地的に激しい豪雨が今年は頻発している。今話題の「ゲリラ豪雨」である。
降雨の範囲が局所的で、降雨時間が短いといった特徴がある。そのため、1時間に100mmを超えるような集中豪雨も珍しくなくなった。1時間に100mmというと、下水道の設計値である50mmを大きく上回ってしまうため、マンホールから雨水が噴き出すこととなる。
ゲリラ豪雨の発生原因ははっきり解明されているわけではないが、原因のほとんどは、前線の通過や接近、大気の不安定などにより発達した積乱雲によるものである。
その他としては、ヒートアイランド現象も要因の一つといわれている。都市部での気温が周辺よりも局所的に高くなることにより上昇気流が生まれる。上昇した空気は上空で急激に冷やされ積乱雲が発生し激しい雨が降る。特に上空に冷たい空気が入り込んでいるときには注意が必要だ。
また、都市部における高層ビル群は平地にできた山にたとえられる。南からの湿った空気がビル群に当たり、上昇気流を発生させる。自ずと積乱雲が発生する。
通常の気象予報には、スーパーコンピューターが活用されているが人工的なことは見積もられていないので、この様な都市型の集中豪雨を予想することは極めて困難な状況であるといえる。早急に都市部専用の気象をシュミレーションするスーパーコンピューターを開発するしかなさそうである。
自然現象と人工物が複雑に絡み合った中でのゲリラ豪雨。今までの経験と知識で判断することは今のところ困難な状況である。
人間は自然の猛威には太刀打ちできない。しかし、地球の気象条件までをも変えてしまうほどの力を持ってしまったようだ。

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ワイルドライフ・マネジメント

最近、特に農村部や中山間地域において、野生動物と人間の間でトラブルが多発している。
山菜採りの折クマと鉢合わせになり襲われたり、イノシシに噛まれたり、シカやサルなどが畑に進入し荒らされたりと、この手のニュースがかなり多くなっているようだ。ついこの前には、都心渋谷に野生のニホンザルが出没しニュースになった。
なぜこのような事故が多発するようになったのか。原因は複数あるようだ。色々考えられる。
・動物のすみかである山が荒れ、食料が少なくなり降りてくる。
・農村部の高齢化により開けた里山の整備が行き届かず、動物たちが侵入しやすくなった。
・犬などの天敵が少なくなった。
・動物の個体数が飽和状態になり分布域を広げざるを得ない状態となった。
これ以外にも複雑に絡み合う自然環境の影響も絡んでいるはずであるが、人間活動の経済状態や社会情勢にも原因がある。農林業の衰退と人手不足である。
戦後、スギやヒノキといったような多様性のない植林を続けてきた影響で、動物の餌となる広葉樹が減少した。更に、林業の衰退で間伐等の治山が行われず、山は荒れ放題となった。
今まで微妙な関係で動物と折り合いをつけてきた接点が次第に崩れてきたということだろう。
そんな状況を何とかして改善できないか。そで生まれたのがワイルドライフ・マネジメント(野生動物管理)という研究分野である。
動物の生態調査や個体数調査をこつここつと積み上げ、保存、保護、保全を総合的に管理しようとするものである。
これを行うには広範囲な研究分野間での協力体制と実績を積み上げていかなければ、なかなか難しいと思う。実行しながら改善を継続していくしかないだろう。
結局は、乱獲と過激な開発を行ってきた人間としての責任であるからやらなければならないだろう。

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地球環境問題のカギ

かなり前から取り沙汰されていた地球環境問題だが、最近では「地球は、このままではもうどうしようもない状況になってしまうのでは?!」という危機感と深刻さが先進各国で叫ばれるようになった。
7月7日から9日の3日間、主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)が開かれる。その焦点は「温室効果ガス半減」である。
私が就職したのはバブル経済の2年ほど前である。正直、バブル時代には世界的に地球環境を危機的状況として取り扱うような時代になるなどとは思ってもみなかった。造っては消費するという大量生産、大量消費の社会構造が圧倒的に有利な時代だった。そんな生活が永遠に続くという錯覚を覚えていた。
自分なりに地球の未来については考えていたものの、これだけ世界が騒ぎ出すとは予想外といってもよい。このまま人類は消費生活を続け、やがては滅びていくんだろうな?などと悲観的に思っていた節もある。だから、自分としてはこの様に世界が騒ぎ出すような状況になって良かったと思っている。
何しろ自然相手に遊んで育った環境にいたので、年々あちらこちらで我々人類の自然破壊が目についていたからだ。このままでは、遊び場所が無くなるではないか?!これから生まれる子供達が可哀想ではないか?!自然を学べないまま大人になってはもう遅いではなか!といった自分なりの言い分があった。
多分、ベストセラーとなった「不都合な真実」を書いたアル・ゴアさんだって、そんな身近な危機感から色々と研究を重ねてこれだけ世界に影響を与えるべく著書を世に送り出したに違いない。
先進各国が地球に蓄えられたエネルギー源や資源を消費していく中で豊かさを得てきた世代には、少なからず地球環境に対する危機感は持っていたはずである。または持っているはずである。まさにその世代が今、地球環境問題解決の中心となり世界に発信しているといっても良いだろう。
私だって地球のことを心配していたのだ。そんなことを考えて思った。一人一人の「思い」は世界にも繋がっているんだということを。
昔遊んだ海や川や山。不便だが豊かな生活を送っていた時代。そんな世の中を無くしてはいけない。こういう思いを持った人々が意外と多く居たから世界を一斉にこちらを向かせるような時代になったのだ。
しかし、いままで先進国が歩んできた道のりを考えれば簡単に進められるような問題ではないのがわかる。我が国の環境技術を積極的に提供しなければならないし、それなりの援助も必要であろう。それらを考えれば「洞爺湖サミット」でどのような内容になるのか非常に興味がある。
二酸化炭素排出を抑えるためにはバイオ燃料が良い。しかし、発展途上国では深刻な食糧問題が頻発。原油の高騰。水資源の枯渇。ありとあらゆる問題が複雑に絡み合い、問題山積である。はたして成功といえるまでの決議が出来るのか?とても難しいと思う。
行き着く先は、いずれにしても我々個人がどれだけ行動できるかが今後のカギになることは間違いない。考えてみれば、知らず知らずの内に、自分の生活の中でも省エネ思考が進んでいる。
例えば、車の運転では急発進、急ブレーキは極力裂けるとか、照明をこまめに消すようになったとか、必要以上にお湯を沸かさないようにしているとか・・・・。自分で言うのもおかしいが、少なくとも我が国では、省エネ思考が一般人にも普及しているということの現れであると実感するのです。
一人一人の思いは世界と繋がっていると先述したが、やはりこれしか無いでしょう。会社の仕事は民間の中で活用されるし、家での生活やレジャー等、地球環境問題への対策はあらゆる方面で実行可能で応用も出来るはずである。
今まで個人としても便利さを追求する生活に遅れないように気に掛けていたが、もうこんなもんで十分でしょう。これ以上何が便利になり得る?便利になって良いことか悪いことかを自分で冷静に判断して生活していこう。
それが私の出来ること・・・。

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エコトーン

「エコトーン」という言葉が最近読んだ本に出てきた。
あまり聞き慣れない言葉だが「ビオトープ」だったら生物環境改善の観点からも、かなり前から話題になっている。
「ビオトープ(ドイツ語:Biotop)」とは、生き物が生きていく為に必要な場所のことである。日本語としては「生物空間」とか「生物生息空間」と訳される。
我が国では、護岸等で人工的に改変された河川や湖沼などをより自然の形に戻し、多様な生物環境を修復させる目的で造られる空間を意味することで使われることが多い。
しかし、本来「ビオトープ」の概念としては水辺環境だけにとどまるような隔たった意味ではないようである。水辺環境だけでの意味合いではないのだ。
我が国で「ビオトープ」の概念がなぜ水辺環境に重視した意味合いになってしまったのか?
それは、昔から水田風景と多様な生物環境を有していた里山の環境破壊が進み、身近に見られた多くの生き物が姿を消すような事態に直面したからである。
また、学校教育の面からも手っ取り早く造ることができ、人為的に再生された自然生態系の観察モデルとして注目されることとなった。
この様に、学校や民衆レベルで活発な運動となっているが、残念ながらその対象がトンボだったりメダカ、ホタルだったりと、その地域に象徴的な生物に限定されるものになってしまっているのが現状であるようだ。
本来の「ビオトープ」の概念からは少しばかり逸脱した状況が実際であるが、自然環境が極めて少ない都会の子供達にとっては良い教育かもしれない。
さて、戻って「エコトーン」についてである。
聞き慣れないこの言葉であるが、「湿地や干潟と陸地の境界(水辺や海辺)など、一つのまとまりのある生態系から別の生態系へ移行している場所」を意味する。
海や湖沼、河川と陸地をつなぐ「エコトーン(移行帯)」は、環境としては比較的広範囲に及ぶため注目されづらいが「エコトーン」も解釈としては広大な「ビオトープ」なのである。
海の「エコトーン」は様々であるが、陸域から発生する塩性湿地を有した干潟は、その代表的な環境である。塩性湿地の芦原は潮の干満にによる「エコトーン」の正に中心に位置する。
芦原から干潟、浅海と変化に富んだ海の「エコトーン」は埋め立て等の事業によって、特に首都圏その他の大都市圏のほとんどで姿を消してしまった。
東京湾奥で唯一難を逃れた芦原が存在する谷津干潟があるが、残念ながら孤立しており、浄化能力の限界だろうか、夏になるとかなり臭う状況である。東京湾内で健全に芦原が育っている塩性湿地としては、木更津市小櫃川河口を除いて他に存在しないだろう。
海の「エコトーン」は、多種多様な生物の宝庫である。
干潟ではアサリや牡蠣、ゴカイなどが有機物を大量に濾過してくれるお陰で、海は綺麗に保つことが出来る。
アマモなどが群生する浅海の藻場は、仔魚の隠れ家及び餌場となる。そこで育ち、力をつけた魚は藻場を離れ沿岸域へ旅立つ。
岩礁帯ではワカメや昆布が根付くことによりウニやアワビの餌場を形成する。
海産物の揺りかごである海の「エコトーン」は、健全な漁業を営むためには欠かせない環境である。
その環境を何とか取り戻せることが出来れば、日本の漁業も継続的に続けることが出来るに違いない。
陸と海は繋がっている。
そのキーワードは「エコトーン」だ。
本当の生態系豊かな海を見てみたいものだ。想像するだけでもウキウキしてくる。
そんな環境を取り戻せたとき、人類は、真の自然との共生というものを実感出来ることだろう。
果たしてそれは出来るのだろうか?

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バーチャルウォーター

今日はちょっと水の話であります。
日本は世界でも指折りの「安全な水」を得られることでも有名な国である。年間を通して降水量も安定しており、各家庭に配水される生活用水が不足する事態はよほどの異常気象でない限り皆無といっても良い。
こんな水の溢れる国に住んでいると、水の有り難さを気にしたことはないだろう。現に私も毎日大量の水を使っているが、「有り難い」なんて思って使っているわけではない。
しかし、世界を見渡してみると、日本のように、これほど豊富な綺麗な水を使える国は他には無いと言っても過言ではないだろう。
地球規模で考えてどれだけの水を我が国は使っているのだろう?そんな考え方を算出する方法として、「バーチャルウォーター(仮想水)」という考え方がある。二酸化炭素排出量の概念である「フードマイレージ」と同じような考え方であるが、これは水の消費に関して数値化する考え方である。
ところで、水は私達の生活の中でどのような場面で使われているだろう?
使用量の順に並べてみる。
①トイレ
②シャワー・風呂
③飲料・炊事
「出典:東京都水道局」
この内、東京都の場合だが、トイレで約3割が消費される。これにシャワーや風呂を含めると半分以上が消費されているそうである。
日本国内全体の水の消費量は年間に580億立方メートルである。ところが、輸入した食料品や工業製品の生産に消費される「バーチャルウォーター(仮想水)」はそれを上回る640億立方メートルなのだ。
この状態から導き出されることは既にお解りでしょう。日本がいかに輸入に依存しているかが見えてくるのだ。
それでは、「バーチャルウォーター(仮想水)」のランキングを見て輸入をどこの国に依存しているかを見てみよう。
①アメリカ     :389億立方メートル
②オーストラリア : 89億立方メートル
③カナダ      : 49億立方メートル
④南米各国    : 25億立方メートル
⑤中国       : 22億立方メートル
⑥ヨーロッパ各国 : 14億立方メートル
⑦韓国       : 13億立方メートル
「出典:環境教育・環境学習データベース」
こんな具合である。
つまりは、これらの国の水を他国で消費しているということであるから、日本の消費している水は膨大なのである。これだけ他国に頼った生活を続けているのだから、他国の異常気象は他人事ではないのだ。アメリカが大干ばつを起こせば大変なことになるのです。
だから、何度も言っているが、今の内に食料自給率を上げなければならないのであります!更に地球環境を守る努力をしなければならないのです!ということを言いたい訳!
しかし、こんなことを色々と考えていると、日本という国は環境問題に対して、果たして熱心に取り組んでいるのだろうか?などという思いが沸き上がってくるのは私だけであろうか?便利な生活は快適だけれど、地球環境はもっと大事なはずだし・・・。
なんだかとっても難しいんですけど!?

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フードマイレージ

地球温暖化対策の一環として、二酸化炭素の削減が叫ばれる中、「フードマイレージ(food mileage)」という概念が最近広まりつつあるようだ。「食料の輸送距離」という意味で、重量×距離(ton・kmトン・キロメートル)で表される。輸送に伴うエネルギーを出来るだけ減らし、環境への負荷を軽減しようという運動である。
食品の生産地と消費地が近ければ小さくなり、遠くから食料を運んでくると大きくなる。言うなれば、「地産地消」の概念と同じような内容である。
数値が大きくなればなるほど、地球温暖化に貢献してしまうというわけだ。食糧自給率を高め、食料の生産地と消費地を近くせねばならないということにも繋がる。
1994年にイギリスの消費者運動家のティム・ラング (Tim Lang)氏が提唱した概念で、もともとは「フードマイル(food mile)」と呼ばれていた。
日本では、農林水産省農林水産政策研究所によって2001年に初めて導入された。平成12年の同研究所での試算によると、我が国の総マイレージは、5,002億(ton・km)。ちなみに、お隣韓国では、1,487億(ton・km)。アメリカは1,358億(ton・km)である。圧倒的にトップである。1人当たりの年間食料輸入量の約420キログラムで割ると、平均輸送距離は10,000キロメートル弱になる。環境立国と呼ばれるには、甚だ恥ずかしくなる数値である。
様々な国際会議で、二酸化炭素削減目標を掲げているが、果たして、自国で排出する二酸化炭素の量と、この輸送に掛かった二酸化炭素の量を合わた数値で考えているのだろうか。
そんなわけで、環境問題を考える上でも今後ますます「食糧自給率」を高めることが欠かせない事項となってくるはずである。
やはり、日本の「農業」「漁業」「林業」などの第一次産業は「大切にしなければならないなぁ~」とつくづく感じる。
食品産業などでも、この「フードマイレージ(food mileage)」の概念が広まりつつあるようだ。時代は、食糧自給率アップの方向へ進もうとしているように感じる。
さあ、今後の我が国の行方は如何に?!
地のものを食すということは、旬のものを食べることであり、新鮮で最も美味しいのだ!
地のものを極自然に食卓に並べられる時代が来ると良いと思う。
ちょっと面白そうなサイトを見つけたので紹介しておきましょう!

環境省の平成17年度地球共同実施排出抑制対策推進モデル事業に選ばれた
「大地を守る会」の「フードマイレージ・キャンペーン」
http://www.food-mileage.com/

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環境問題の難しさ

最近、偽装問題が多発している。というか、内部告発が多くなってきたということでもあろうか?
食品の賞味期限、使用材料、建物の構造計算、建材等々。今まで様々な偽装問題が頻発している中で、今回は古紙配合率の偽装である。
環境問題を声高に世界に訴えている日本においてこんな偽装が横行していたなんて!とても恥ずかしいことだ!個人や企業が手軽に出来る環境問題対策(省資源化)で「少しでも」と思い、行うことのできることの最たるものである。
名刺やコピー用紙、ハガキ。「騙された~!頭に来た~!」と思っている方は多いと思います。現に私も非常に不愉快であります!
偽装に関与した製紙業界の発表だと、配合率は最高でも大体30%程度である。70%とか60%というのは真っ赤な嘘だったということである。まったくもって怪しからんことだ!
お客のニーズに合うような白い紙にするためには偽装はやむを得なかったとか、技術的に難しかったとか、とんでもないことを言っているが、全く消費者の心を無視した言い訳でしかない。
ここで、ちょっと考え方を変えてみる。果たして、古紙再生紙を作るためにどれだけのエネルギーを消費しているのだろうか?実は、木材から直に作る方が二酸化炭素排出に関しては一番良い結果となるとのこと。
単に環境問題と言っても色々な見方がある。二酸化炭素のような温室効果ガスの削減を優先するか?それとも自然環境を優先するか?いずれにしても環境問題だから厄介である。言い換えれば省資源を優先にするか?地球温暖化を優先にするかの問題になってしまうのだ。
これがまた「紙」だから更に厄介だ。ペットボトルのリサイクルと同じ問題だが、ペットボトルは昔のようにガラスに変えて何回でも再使用できるものに変えればよい。ところが紙はそうはいかない。代替え出来るものが今のところ殆ど無いのである。木材という資源に頼るしかない。とどのつまり、木は切ったら切った分だけ植えて、ちゃんと植えた場所の間伐や林床管理もきっちりやらない限り駄目だということに辿り着く。
リサイクルという省資源の考えも良いことではあるが、それに化石燃料を大量に使うようでは元も子もない訳だ・・・。
人類にはもはや「もったいない精神」と「自然環境を大切に精神」で寿命を延ばす方法しかないのか?
環境問題ってなかなか難しい問題です・・・。

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ウナギ資源の深刻

魚とは思えないほどの肉質とその食感は私の大好物である。それはウナギ。最近、岩波新書の「ウナギ~地球環境を語る魚」という本を読んだ。そこには衝撃的な事実が色々と書かれていた。
私の故郷北海道では捕れない魚なので、それほど馴染みは無かったが、最近ではスーパーへ行けば中国産ウナギがビックリするほど低価格で売っている。国産ウナギの約半額である。コンビニ弁当のレパートリーにまである。土用の丑の日以外にだって、食べたくなればいつでも食べることができる。
さて、そんなウナギであるが実は立派な回遊魚なのだ。その回遊の謎が、ごく最近明らかにされた。鮭は川で生まれるが、ウナギは海で生まれる。ニホンウナギのその産卵場所が果たして何処なのか?それが今の今まで謎だったのである。
卵から孵ったはかりのウナギの仔魚はレプトセファルスと呼ばれ、その姿は柳の葉っぱのような薄っぺらで半透明である。まさかこれがウナギ?!と思うような姿をしている。
レプトセファルスは熱帯の海から黒潮に乗り、日本近海に到達する頃にはシラスウナギとなり、やっと親魚と同じ姿になる。シラスウナギは河川をゆっくり時間を掛けて遡上しながら餌を食べながら成長する。雄は3年から5年、雌は10年近くを掛け成熟すると考えられている。成熟したウナギは川を下って海に向かい産卵する。川を下るウナギは「降りウナギ」と呼ばれ、産卵と長旅に備え太っていて脂が乗り非常に旨いらしい。
そんな壮大な回遊をしているのだから立派な回遊魚なのである。つまり、孵化直後のレプトセファルスが大漁に捕獲できたところがウナギの産卵場所ということである。
過去の調査から、熱帯の海のどこかではないか?との大体のエリアは解っていたのだが、ピンポイントでの解決は成されていなかったのである。結果から言うとグアム島沖にあるスルガ海山周辺だと解ったのである。
スーパーで出回っているウナギは全て養殖ウナギである。川を遡上しようとするシラスウナギを海岸で捕獲し、成魚になるまで池で養殖して出荷する。
ウナギの人工孵化は1973年に北海道大学において初めて成功し、2003年に三重県の水産総合研究センター養殖研究所が完全養殖に世界で初めて成功した。しかし人工孵化と孵化直後の養殖技術には莫大な費用がかかり、成功率も低いため未だ研究中の域は出ない。
シラスウナギは河口部で一網打尽にされ、それを池に入れて大きく太らせ、やがては蒲焼きにされる運命なのである。子供を捕って、それが全て売られてしまい人間の胃袋に収まってしまうのであるから、この方法だと野生のウナギは減る一方である。ということは、シラスウナギだってやがては捕れなくなるのは当たり前である。
鮭のように人工孵化したものを川に放ち、自然の海に帰す方法ではないのだ。つまり放流して後で捕獲するものではない。
日本のウナギ漁獲量の推移は、1970年には3000トンを超えていたが、現在は僅か500トンそこそこである。一方、シラスウナギの漁獲量推移は1970年では約130トン、現在では20トンそこそこである。正に減る一方だ。このままだと、孵化技術が確立されない限り、確実にウナギは絶滅してしまうことになる。今のところ、捕らないで保護する方向でしかないのが現状である。
スーパーで意図も簡単に手に入るウナギが、まさかこんな状況とは思いも寄らなかった。このままだと、厳しい規制を掛けない限り、マグロよりも深刻な状況になるはずである。
旨い蒲焼きが食えなくなる日は近いのか?!

記事参考文献:「ウナギ~地球環境を語る魚」著者:井田徹治 (株)岩波書店

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共生よりも開発

地球上で人類が幅を利かせている中、地球温暖化などが叫ばれ、自然(地球)環境破壊が進んでいる。そんな中、「人類と自然の共生社会を作らなければならない」というような謳い文句をしばしば耳にする。それは果たして可能なのだろうか?私の答えは「不可能」である。
食物連鎖の生態系から外れた人類とその他の生物との共生は普通に考えても絶対に不可能である。
人類の祖先も大昔であれば、生態系の一員として食うか食われかの厳しい自然の中で暮らしていたはずであるが、現代の人類は、生態系から全く違うところで生活を営んでいる。
人類が創り上げた社会やシステムの中で人類独自の檻の中でしか生きられないのである。自己家畜化とでもいいましょうか?従って、自然との共生は全く持って無理なのである。
無理だからと言ってこのまま放っておけば良いと言われればそうではない。では、我々は自然(地球)環境破壊に対してどの様に対応すれば良いのか?それは、これ以上の破壊を防止するしかないであろう。若しくは、既に開発してしまったところを元の自然に戻すための開発を行うことである。そこに資産を注ぎ込むことが出来るかどうかが問題となるが、そうしなければならない。
どう考えても地球上での人類の数は既に飽和状態である。地球上のありとあらゆるところに人類は生活している。というか、様々なエネルギーを駆使すれば生活を営むことが出来るのである。
一方、先進各国の人口だが、少子化と騒がれている日本では既に減少傾向にあるという。アメリカを除くイギリス、フランス、ドイツも日本に比べれば緩やかではあるが近い将来減少傾向に転ずる予測だ。
これは、私が思うにごく自然な現象ではないだろうか?食物連鎖の中でも、増えすぎると生態系のバランスが崩れ、何らかの不都合が起き、その個体数は減る方向に働くものである。人類もそれを本能的に感じ取っているのではないか?
何しろ人類は地球が長い年月を費やして固定してきた様々なエネルギーをわざわざ掘り出して消費しながら生き長らえてきたのだ。だから人口もどんどん増えて当たり前だ。増えればまたエネルギーを必要とする。この繰り返しでは、自然(地球)環境破壊はどんどん進むばかりである。問題の根源は、人口が増え過ぎたことにあるようだが、それはさておき、今すぐにでも、自然(地球)環境破壊を防ぐ意味での開発が必要とされるのではなかろうか?
自然を破壊することだけが開発ではない。是非とも、人類が自然を忘れてしまわない内に自然を回帰させるための開発を勧めて欲しいものです。

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水道水をガブガブ飲みたい!

世界でも類を見ないくらいの清潔な水道水を各家庭に提供している日本であるが、そのまま飲んでいる人はどれだけいるだろうか?
汚染された水をこれだけ清潔にするということは、塩素を大量に投入しなければならない。しかし、その塩素の臭いがかなりきついということで敬遠してしまうほどになってしまっていることは事実である。その他、サビ臭いとか、カビくさいとかといわれ、各家庭での浄水器の普及率が鰻登りとか・・・。私も現に水は買って飲んでいる。
しかし、こんな状態は昔はなかった。と言うよりも、少年時代を過ごした北海道夕張の水は、水道水とは思えないほど旨かったことを思い出す。
クラブ活動で汗だくになりながらクタクタになっても、昔の考えは今とは違い、水は運動中に飲んではいけないと言われていたものだ。終わった頃には喉がカラカラ状態である。そんなときに水道水をガブガブ飲んで生き返ったような気分になったものである。これほど水を旨いと感じたことは無い。最近の都会の子供達は、こんなに水道水を旨いと思って飲んだことがあるのであろうか?ガブガブ飲むことがあるのだろうか?多分、浄水器を通した水か、スポーツドリンクで済ませているに違いない。
最近では塩素投入を最小限に控えるようなオゾンによる高度処理施設も次第に増えてきたようである。しかし、まだまだ全国的には普及していないので塩素臭がひどいところも多々あるようだ。そんなに塩素を投入しなければ日本の水は本当に危険なのだろうか?実は、外国の水質基準と比べ、あまりにも厳しい基準になっているのが事実である。
水道法第4条に基づく水質基準が10年ぶりに大幅に改正され、平成16年4月1日から施行された内容によると。大腸菌に関しては「検出されないこと」となったようである。しかし、大腸菌とは、普通に人や動物の腸管内や土壌に存在している細菌である。水道法では「水道水中に検出された場合には病原生物に汚染されている疑いがある」との説明文が書かれている。これほどの基準を満たすためには、やはり人体への影響が無く、殺菌効果を瞬時に求めようとすれば塩素が手っ取り早いのだ。この基準が出来たことによって、ますます塩素が投入され、ますます水はまずくなる。だったら、取水しているところの水を綺麗にすれば良いじゃないかと思うのだが・・・。
日本は降水量が多く、水が豊富である。それだけに水の大切さを忘れているような気がする。清潔さを追い求めることにより、洗剤や歯磨き粉、洗顔料など、全家庭で毎日のように大量に流されている。下水処理施設で処理はされているだろうが、それを考えると恐ろしくなる・・・。どれだけ流されているのか?私もその本人であるが・・・。
水が豊富な国に住めて良かったと思うが、膨大な金を掛けて、やっと飲める水が水道から出て来ていると思うと、なんだか残念な気持ちだ。もっと水を汚さないような世の中になってくれれば、もっと旨い水道水が飲めるはずである。
蛇口をひねって旨い水をガブガブ飲んでみたいものです!

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殺虫剤散布

自宅の隣に、地域でもかなり大きな小学校が有る。敷地内にはソメイヨシノの並木が有る。花が散ると同時に、葉が一斉に茂る。それを待っていたかのように、蛾の幼虫が大発生するのだ。次第に木の下には幼虫の小さな糞が目に付くようになる。
この時期になると、回覧版が回ってくる。「○月○日○時より、外注防除のため殺虫剤散布を行いますので、窓は閉め切るようにお願いします」と。
確かに蛾の幼虫はかなりの数が発生する。その幼虫は毛虫である。毛には毒があるらしい。その毛が刺さると結構痛いらしいのだ。それを子供達から守ろうとのことである。当然といえば当然の処置である。そのための殺虫剤散布である。その散布は、毎年、春と真夏の2回ほど行っているようである。
なぜこんなに涼しくなってから今更その様な話をするかというと、他の木よりも遙かに落葉するのが早いからだ。今日の帰宅時、それに気が付いたのである。路面にかなりの葉が落ちていたのだ。ソメイヨシノにとって殺虫剤散布は果たして良い効果を生んでいるのであろうか?などと考えてしまう私・・・。
本来、野菜や木には芋虫や毛虫は必ずといって良いほど付きものである。キャベツにはモンシロチョウ、ニンジンにはキアゲハ、ミカンにはアゲハ・・・というように、それが人間に害を及ぼすか否かは別として、それぞれの昆虫にとって食草となる健全な木や野菜には必ず付くのである。
しかし、不思議なことに、全ての葉を食い尽くされるかといえばそうでもないのである。読んで字のごとく、虫食い状態で留まっているのがほとんどである。それは、植物自ら葉を食われることにより、毒を発生させているからだ。
有る程度食われると植物は毒を出し、虫から身を守る力を発揮する。
何を言いたいかというと、毎年毎年殺虫剤散布することにより、植物としての天敵に対する本来の抵抗力が次第に薄れていくのではないか?ということである。そうなると、一層害虫に犯されるようになる。更に殺虫剤を散布する・・・。この繰り返しに陥っているのではなかろうか?
毛虫が居なくなると、それを餌にする鳥やイモリが居なくなる。もうこうなれば殺虫剤さえ掛けられなければ、ソメイヨシノは毛虫の天国である。
人への害も深刻だが、これもまた深刻であるような気がする。この小学校のソメイヨシノだけではない。野菜にだって害虫に弱くなってしまった品種が有るはずだ。
自然に反することをしてしまう人間の行動は連鎖的にど壺にはまる。贅沢な生活を送ろうとすればするほど二酸化炭素の排出が膨大となるし・・・。人類はもはや、自然との共生は無理になってしまった。どうすれば良いのでしょうか?
神様教えて!?

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地産地消の勧め

地球温暖化問題の取り組みは、世界中でますます盛んになっている。それだけに、日本にとって京都議定書の重みは一層強くなり、今や政府も頭を抱えたくなるような問題になってしまっているのが現状である。当初目標にしていた二酸化炭素排出量は、下がるどころか増加の一途。目標数値から大幅に後れを取っている状態。
これだけ世界中がグローバル化してしまっては、エネルギーを沢山使わなければ国際競争力に対抗できないのは当たり前である。省エネ技術をいくら駆使しても、そのインフラを整備するまでにまたエネルギーを使わなければならない。
地球に優しい発電として知られる風力発電施設だって遠くの国からわざわざ輸入して建設されている。二酸化炭素排出量の収支は一体どうなっているのか非常に疑問である。
JRでは「新幹線は地球に優しい乗り物」というような謳い文句でPRしているが、それも疑問である。個人的に自家用車を使うか新幹線を使うかを単純に比較すれば、それはそうなるかもしれない。
国土交通省から発表されている資料に以下の数値が有る。
■自家用乗用車 :0.188kg-CO2/人・km
■国内航空    :0.111kg-CO2/人・km
■営業用乗合バス:0.094kg-CO2/人・km
■鉄道       :0.017kg-CO2/人・km
こう見るとやはり圧倒的に鉄道を使うのが最も地球に優しいのである。
しかし、これはあくまでも個人が使うエネルギーを換算しただけの数値である。これに付け加えなければならないのは、今までにインフラを整備するためにどれだけのエネルギーを消費してきたか?更に、これから補修とか改修とかでどれだけのエネルギーを使うのかである。私としてはそれを加味した上での数値を教えてもらいたいのです。しかし、この様な議論は複雑すぎて解らなくなるのが現状。
さて、ここで私個人として普段からちょっと気にしているのが「地産地消」という観点である。この言葉は、読んで字のごとく、農作物は「地域で生産して地域で消費する」というものである。
運送に掛かるエネルギーは最小限。農業が各地に分散され活性化する。ヒートアイランドも分散出来るはず・・・。ただ、メリットばかりででもない。地域の気候変動によっては収穫に差が出来る。
しかし、「地産地消」は最も単純にエネルギー消費の削減が見込まれる対応ではないだろうか?一般人にも理解しやすい。
だからスーパーで売っている野菜や果物、魚や肉。これらを地元である千葉県産をなるべく買うようにしている。ラッキーなことに千葉県は非常にバランスの取れた地域である。周りは海に囲まれ海産物は豊富。米の生産地としての水郷利根川周辺には広大な水田が広がる。内陸部では農地もかなりあり野菜はほとんどが揃う。酪農も意外と盛ん。果物で言えば今が旬の梨。その点、東京都はほとんど地元では揃わないでしょう。
だから、地元の旬の物を買ってあげてください!
個人で出来る二酸化炭素削減効果を発揮する近道では?!と思う今日この頃である。

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快適冷房の落とし穴

北海道生まれで北海道育ちの私は、就職するまで暑い夏に快適とされる冷房に当たったことがなかった。今では当たり前のように毎日オフィスで冷房キンキンの快適環境で仕事をバリバリ!と言いたいところであるが、どうも私には冷房が合わないのである。というか、私だけではなく、快適であるはずの冷房で体調を壊してしまう人達は、自分が気が付かないだけでかなり存在していると感じるのです。
「何だか解らないが頭痛がする」とか「肩こりがひどい」とか「だるい」とか・・・。私が思うに、これらは全て冷えすぎた冷房のせいだろう。
人間が急激な温度変化に対応できるのは、せいぜい5℃以内だ。東京の夏ともなれば、天気予報で31℃とか32℃とかは連日である。「だったら冷房設定温度は26℃程度で良いだろう」と思ったら大間違いである。この気温は風通しの良いところであって、気象庁が規定で定めている決められた場所でのことである。オフィス街はそれとは環境が全然違う。アスファルトで覆われた灼熱地獄のようなところである。照り返しの熱で優に40℃は下らない。
オフィスの冷房設定温度は26℃前後。だとすると、内外温度差は何と15℃近い差である。これが数字のからくりだ。汗だくだくで暑くなったり、ひんやり寒くなったりで温度変化に対応できなくなり自律神経失調症になってしまうのは当たり前である。
俗称で「冷房病」という言い方があるが、これは、室温低下や室外との温度差に対して身体が順応できず、種々の症状を現す「不適応症候群」の一つである。血管を収縮させたり、拡張させたりして体温調節を行うシステムが冷房によって上手く機能しなくなることが一因だ。
問題点は、『冷やしすぎ』『冷風が直接身体に当たる』『温度差』である。これら全てを解決できれば、それこそ快適になるのであるが、特に都心ではヒートアイランド現象や通風条件等様々な要因が絡んでいるので難しいと思う。ミクロな視点では解決できないのだ。グローバルな視点での解決策を見つけなければ、ますます灼熱地獄に陥ることになる。そして、私達の身体もだんだんおかしくなること間違いなし。
なにがチームマイナス6%じゃ?!東京は、地球温暖化装置か?!自然の空気を四季をなるべく取り入れていく環境を望むばかりである!

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覚えてますか?「環境ホルモン」

プラスチック製品はありとあらゆる物に使用されている。身の回りを見ればそこら中に目に付く。洗面用具、掃除用具、食器その他諸々・・・。
10年くらい前だろうか?「環境ホルモン」という言葉が世間を震撼させたことがある。世間はもう忘れてしまっているかも知れませんが・・・。
生き物の体内に取り込まれると、まるでホルモンのように働いて生殖機能などを攪乱するおそれのある合成化学物質を総称した「内分泌攪乱化学物質」のことだ。必ずしも、すぐに生体に悪影響をもたらすものとしてではなく、微量が徐々に蓄積されることにより、あくまでホルモンのように振る舞うと考えられるものだ。ネットで調べてみた結果、現在まで知られている物、あるいは少なくとも影響が出るであろう物として・・・・
■昔使われていた
・PCB(変圧器の材料)
・DDT(農薬)
・有機スズ(船底塗料)
■今も使われている
・ノニルフェノール(工業用洗剤・ラップなど)
・ビスフェノールA(プラスチック食器、ほ乳瓶、缶、歯の詰め物など)
・フタル酸エステル(おもちゃ、食品用手袋など)
などが上げられている。あれだけ騒がれても、まだ色々なものが対象になっているようですね?
プラスチックの最も悪い点。自然界では分解しないしのでどうしようもない丈夫な奴で、燃やせば有害物質が出る。それに安い。100円ショップの常連である。一度買ったらそれこそ十分に長い時間使えるはずなのだが、ちょっと汚れたら買い換えてしまう。「もったいない」の国としては、これは良くないのでは?!と思い、最近はなるべく自然に帰る物を買うようにしているのです。
例えば、料理などで使うザルは竹製、植物を植える鉢はレンガ製、プランターは木製、洗濯カゴは竹製、etc。といった具合です。
Blog_20070207
特に100円ショップで買ってきた竹製のザルは非常に重宝している。下処理した野菜や捌いた魚、麺類の水切りなど、これが何個かあれば用足りるのだ。これらは、自然の物から作られた物で、そこら辺に捨てても(そんなことはしませんが)自然に帰る。熱いお湯を掛けても燃やしても有害物質は出ない。
無理に買えとは言わないが、同じ100円ショップで買うんだったらプラスチックよりもこっちの方が遙かに味があるし、多少なりとも環境には優しい訳だから・・・・。
色とりどりのプラスチック製品は清潔感があるようですが、あまり揃えすぎると環境にも悪いし、ひょっとしたら体にも悪いかもよ~?

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自然を知るということ

我々の身の回りには、実は沢山の生物が生きているはずである。ただ、普段から気に掛けるものでもないから目に付かないだけだ。
アスファルトの道路のちょっとした溝にだって雑草が生えているし、朝には鳥のさえずりが聞こえたりもする。こんな人間の住処である都会にも、色々な生物が生きている。しかし、そんな彼らは、都会に住む我々人間にとって、とてもちっぽけで、あまりにもありふれた存在だ。だから気にも掛けないし、何のために生きているのか?とか、生態系の中でどんな位置を占めているのか?などといちいち考えもしない。だから、どうでも良いと思っている節がある。
しかし、人間とは違い、彼らは確固たる生態系での地位を築いて生きていなければならない。その中には自然の中で淘汰される生物も居るはずで、それらは既にこの世には居なくなっているだろう。つまり、無駄に生きている生物は、この世に存在しないと言えるはずだ。
少なくとも人間社会の中で立派に順応して生きていける奴らも居るだろうが、それは極限られた奴らだ。それ以外の、里山や人間活動の薄いところで生きている身の回の彼らを我々はもっと知るべきではないのか?と、最近つくづく思うようになった。
私の住んでいる船橋も東京のベットタウンといえる。まあ、都会と言えば都会だが、ちょっと足を伸ばすと印西市や白井市など里山が広がる地域が隣接している。そこには、森があり、田んぼがあり、沼や利根川のように大河も流れている。
そこには、カエルやザリガニもいればタニシも居るし、子供達のアイドル、カブトムシやクワガタも住み、トンボも多い。植物だって多種多様だ。少なくとも生態系が豊かで生物多様性に富んでいる。十数キロ離れただけでこれだけの生物種が生態系を形作っている。そんな彼らが居なくなったらどうなるのかは、あまりにも複雑で私には解らない。でも、そんな彼らを少しでも知っておく必要はあると思う。それを知ってても知らなくても、今の暮らしが変わるわけではないが、知っていて絶対に損はないはずだし、決して意味のないことではない。
こんなことを考えられるのは、多分私だからだろうか?小さい頃から自然に触れることが出来た私だからだと思う。家の裏は渓流と深い山。遊び相手は自然そのものだった。
都会で生まれ、都会で育ち、自然に接する機会を失ってしまった人間には考えも付かないことだろうと思う。人間が作り上げた社会システム、都会という中でしか生きることができない者達がこれからますます増え続けるだろう。だんだん、身の回りに自然が無いのが当たり前の世の中になりつつあるようだ。本当の自然を知らない、囲いの外を知らない家畜のように、正に自己家畜化の様相である。恐ろしい世の中になるだろうなぁ~・・・・。
こんな世の中に誰がした?!って言われないように、アスファルトで固めたりコンクリートの箱ばかり作ってないで、今すぐにでも何とかしなければならんでしょう?!「美しい国」にね!
だから、自然をもっと知ろう!と、思っている今日この頃なのです・・・。

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ハリケーン

最近、アメリカのハリケーン情報が日本のニュースでもリアルタイムで報道されていますねぇ~。明日には過去3番目に大きい猛烈なハリケーン「リタ」が大陸に上陸するとか・・・・。
上陸予定の住民のほとんどが車で避難するもんだから高速道路が大渋滞。台風で遠隔地へ避難するなんて日本では考えられないことだけれども、風速60m/sって、考えたらスゲー速度ですよね!210km/h以上な訳だから・・・・。でも、これを考えると逃げるしかないって、私も思っちゃいます。
そんな巨大な台風は幸運にも今まで日本には来たことがありませんが、もしそんなのが来ちゃったらどうすんでしょう?って最近考えるようになったんですが、この狭い日本だと、すっぽり覆われて逃げ場がないでしょうな・・・・。赤道付近の海水温が台風の引き金になっているということは、前から知っておりましたが、大体27℃になるとやばいそうです。でも、この27℃って、去年の私の釣り場でも有った記憶がある。ってことは、台風の勢いが衰えないまま本州まで突っ込んで来るってことですよね?!
まあ、来てしまったら仕方がないのですが、今後は絶対に過去最高クラスの台風が来ることは間違いないと考えています。だって、温暖化が進んでいるわけだから、そりゃ~当たり前ってとこですかね?!アメリカのハリケーン被害も、日本の台風被害も、我々人間が今まで贅沢してきたツケでしょうか?来るべくして来たって感じでしょうか?!いずれにしても、私が子供の頃よりは遙かに温暖化しているのを身をもって感じていますからね・・・・。
さあ、どうする人類!?

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Cool Biz

クール・ビズという言葉がすっかり定着しているようです。っていうか、上着無し、ノーネクタイのスタイルが定着したってことですかな?
京都議定書発効を受け、職場の冷房を28℃に保った状態でのスタイルについて環境省が名称を公募・発表したのがこれ。
ビズはビジネス(business)の略。クールに「格好良い」と「涼しい」の意味をもたせているようです。まあ、必ずしも格好いいとは言い切れないが、私もノーネクタイについては賛成ですな。
仕事でお客さんの会社へ行ってもほとんどの人たちが半袖シャツにノーネクタイ。もちろん私もですが・・・・。
しかし、果たして冷房の温度を28℃にまで下げて設定しているかと言えばそうでもないでしょうに!?ちゃんと設定し直しているのぉ~?
場所によっては、長時間居ると寒くてブルブル震えが来るくらいガンガン冷房をかけているところもあるんですねぇ~。ともすれば、外に出たときに眼鏡が曇り出すってこともあるくらいです。
これって、本来のクール・ビズとは言えないでしょうに!?ただ単にノーネクタイだと楽だから皆さん実行しているんではないでしょうか?
これではヒートアイランド現象はまだまだ治まりがつかないだろうし、省エネなんて出来ていない。
やっぱり、夏は暑いんだから、多少汗をかくくらいが良いんじゃない?冷えたり、暑くなったりと人間の体はこのままではおかしくなっちゃうぞぉ~!?
我が家では、冷房設定温度28℃です。これくらいがやっぱり丁度良いです。これ以上下げると私の場合冷房が苦手なので体調を崩しちゃいますもんね。
省エネ、省エネ!

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世界自然遺産「知床」

道産子の私にとって、嬉しいニュースが目に飛び込んできた。
知床が世界自然遺産になる!
ブナ林で有名な白神山地、縄文杉で有名な屋久島に続く、日本では三番目の世界自然遺産だ。
道産子とは言え、私の実家は札幌で、東の突端知床まではかなりの距離がある。
朝から晩まで車で走り続けてやっと到着するような距離だ。
今まで3回ほど行ったことがあるが、自然が残る北海道にあっても格段に動物の姿が目に付くところだった。
道端にはキタキツネが頻繁に現れる。
いつだったか、夜の知床峠で、どでかいエゾシカの雄が道のど真ん中に立っていて急ブレーキを踏んだこともある。
ビックリ仰天した・・・・。
ヒグマも頻繁に出没する場所としても有名である。
勿論私の好きな海も綺麗で、そこら中にバフンウニの姿が海岸から沢山見えるくらいだ。
これだけ手つかずの自然が残っている地は、日本国中探しても多分無いだろう。
そんな北海道をいつまでもいつまでも残してもらいたいものだ。
前々からそんなことを望んでいた私の願いが思わぬことで実現された!嬉しい!
しかし、北海道もまだまだ開発され続けているのも現状。小さな開発はあちこちで続いている。
北海道が北海道であるためには、もうむやみな開発は止めた方が良い。
北海道の財産は何だ?お役人さん、もっと考えようよ・・・・・。

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地球に優しい・・・

最近は南房総まで釣りに行くことが多くなりました。
以前は、内房止まりだったのですがね・・・・。blog_20050413

そして、ついこの前にも館山方面に釣行しまして、なんだか背の高い構造物が目の前に!
風力発電のようにも見えたのですが、ちょっと違うような?
興味本位で近くまで行って見てきたわけ。
国道からちょっと海側に入ったところだったので、直ぐに到着。
「ん?何だか看板か標識みたいなものが掲げられているぞ」
それは意外や意外、NTTdocomoの構造物だったのですよ。
風力発電とソーラー発電で蓄電池に電気を貯めているんだってさ。
その電力でその周辺の携帯電話用アンテナ電力を全てまかなっているらしい。
その標識には発電量、蓄電量、そして二酸化炭素削減量の数値が表示されていましたねぇ~。
京都議定書によると、2008年~2012年の5年間で日本に与えられた目標が-6%だって・・・。
でもこの目標。かなりきついらしい。
国も必至になって省エネに関する色んな対策を立てているらしいですが、発電所はこれで目一杯。
ならば企業に頼むしかない!ってことなんだろうねぇ~。
まあ、「もったいない」って言葉が世界中でもてはやされているんだから、日本の責任は重大だね!
我々も頑張ろうじゃないの!
って書いているオイラもちょっとは協力しないといかんですな・・・・。っと感じ入った次第

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