ハイブリッドカーの落とし穴

私はついこの前まで、ディーゼル車に乗っていた。既に過去形となってしまったが、今はガソリン車に乗っている。
自ら気に入らなくなったり、調子が悪くなったから買い換えたわけではない。
県の規制である「ディーゼル自動車の運行規制」によるものだ。元をたどれば「自動車NOx・PM法」である。
規制が適用される自動車でも、知事が指定する粒子状物質減少装置を装着すれば、県内を走行できるとなっているが、それなりの費用が掛かるし、燃費や馬力も落ちるだろう。 更には、粒子状物質減少装置を装着したとしても自動車NOx・PM法対策地域内に登録している自動車は、同法による車種規制の適用により、一定期間猶予の後、車検が通らなくなるのだ。
それを車検に出したときに「次の車検からはもう通らなくなります」とディラーから言い渡されたのである。
頑丈で長く乗ることの出来る車を買ったにもかかわらずこの様な仕打ちには納得が行かないが、法には勝てないのである。
それにも増して、最近の地球温暖化防止、二酸化炭素排出量削減を前面に打ち出したハイブリッドカーの大ヒットである。減税の対象ともなり補助金まで出してくれたものだから生産も追い付かないほど売れまくっているようだ。
二酸化炭素の排出を極力抑えられるから「エコ」です。ということをメーカー側は前面に打ち出しているが、これって本当に「エコ」と言えるのだろうか。ハイブリッドカーに乗り換えればそれで「エコ」と言えるのだろうか。私としてはとても疑問です。
買い換えればその車を作るために膨大なエネルギーが使われているはずで、二酸化炭素の排出量だってかなりのものだと思うのだが・・・。頑丈な車を長い期間乗り続けることこそ「エコ」だと思うのだが・・・。
ハイブリッドカーは、(電池+モーター)+エンジンの異種駆動混合で走る車だ。自動車メーカーとしては、電池とモーターの開発が最重要課題となっている。
電池は現在、ニッケル水素電池を使っているが、近々、携帯電話の電池としても使われているリチウムイオン電池に変わっていくようである。その資源を巡って世界中で争奪戦が始まっているとか・・・。
一方、モーターには効率の良い永久磁石が使われている。これを作るのにだって色々な素材を炉の中に入れて溶解し、合金を作って粉砕してから整形する工程がある。かなりの二酸化炭素を排出しているに違いないのだ。
私は、この電池とモーターの生産からリサイクルまでが非常に気になっている。「エコ」という言葉に翻弄されている人々にとっては安くなればなるほど良いかもしれないが、私としてはそこまで考えて「エコ」を判断したいのだ。自動車メーカーに聞いた話では、電池のリサイクルは電池メーカーに任せているということであるが、そんな無責任で良いのだろうかと思う。作るだけ作って売るだけ売ってリサイクルの仕方も分かっていない。大量に作って大量に消費し、大量の廃棄物に埋もれてしまっては元も子もないではなか。
環境に優しいリサイクルとか、資源を守るリサイクルとかいってペットボトルや空き缶を一生懸命分別している我々の知らないところで、ハイブリッドカーの電池のリサイクルは、きっちり確立されているのだろうか。実は、全くと言っていいほど確立などされていないのが現状なのだそうだ。
この様な現状がある限り、私としてはまだまだエンジン車で燃費を最高まで引き出せる運転を心掛けて乗るつもりだ。実はこれが一番難しい。
足先の力加減が非常に難しい。ゆっくり発進し、ゆっくり加速し、一定の速度を長い時間保つ。この運転が出来れば、かなり燃費が抑えられることは今まで経験済みである。幸運にも、私の車の運転スタイルというか行程がこの方式を使うことが出来る。
車が空いている時間帯しか乗るつもりはないし、高速道路を使うからだ。更に今の車にはクルーズコントロール機能が搭載されている。
実はこの運転スタイルは、最もハイブリッドカーとしては効率がよろしくないようである。適度に加速し、適度に止まることで充電が成されるからだ。
ハイブリッドカーの効率を十分に発揮できない状態で買うつもりは無い。
自分の感覚で手足のように使いこなし、自分の筋肉の一部のように操ることが出来るのはまだまだエンジン車であろう。
生産からリサイクルまで、きっちりと落とし前を付けてくれるまで、ハイブリッドカーには絶対に乗らない。
私はまだまだ燃焼機関のみで走るエンジン車に乗るつもりだ。

※下記参考文献は、私の意見と同様なことが書かれているので是非読んでもらいたい一冊です。

【参考文献】 「ハイブリッドカーは本当にエコなのか?」 著者:両角岳彦 発行所:宝島社新書

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自然保護運動に思うこと

私達が普段から使っている言葉としての「自然」とは何だろうか。それは、「海」であったり「山」であったり「里山」であったりと千差万別である。
しかし、そういった土地が本当に「自然」なのかといえば、個人の考え方にも寄るがそうではない場合がほとんどである。ともすれば、公園やガーデニングを自然と捉える人もいるだろう。
護岸整備された海は既に自然とは言えないし、人工的に植林された山ももはや自然ではない。本来、「里山」も人工的に切り開かれた土地なのでそれもまた自然とは言えない。
そこで「自然を大切にしよう」とか「自然を保護しなければならない」とかいう自然保護運動は正常に機能しているのかという疑問が生じる。
自然保護運動として最も知られているのは「ホタルの復活」や「里山の復活」である。他にも「綺麗な蝶の保護」や「クロメダカの保護」などその対象となるものは様々だ。
それら自然保護運動に反対している訳ではないが、果たしてそれが真の自然保護なのだろうかという私なりの疑問があるのです。
何故「ホタル」なのか。何故「綺麗な蝶」なのか。では、目立たなくてあまり知られていない生き物はどうなるのだろうか。実は、その生き物は生態系にとって非常に重要な位置を占めているとしたらどうなのかということである。
結局、この「自然保護運動」とやらは、実は個人的な昔ながらの景観の懐かしさというか、原風景というものを取り戻したいという欲望から来ているものだとしたらどうだろうか。
個人的な押しつけ以外の何物でもないのではなかろうか。
そもそも「真の自然」というのは、人の手が全く入っていない土地のことであり自然保護とは、それを継続するものでなければならないはずである。わざわざお金と人手を掛けて行うものではないはずだ。
「里山」の復活などということになれば、どれだけの金と人手が必要となるかを考えれば一目瞭然である。
「里山」は日本の原風景として最近になってもてはやされ始めたようだが、それは何故なのか。
その時代に育った人たちが懐かしさを憶え、そんな風景をまた見てみたいという個人的な欲望から来たものとしか考えられない。
「里山」は、確かにその時代には必要不可欠な土地だったかも知れない。火をくべるための薪を取ったり、椎茸栽培に使う土地だったりと色々な面で生活に役に立つ用途が多様に有ったはずだ。
しかし、今の時代にその様な生活をしようと思う人が居るかといえば疑問であるし、その様な生活をするとなれば、かなり大変なことになるはずだ。
燃料は石油に頼り、椎茸だって工場で大量生産される時代である。時代は常に変化しているのだ。
そもそも自然との共生は人間にとっては無理なのであるから、まだ一握りに残っている手付かずの自然をもう壊すのを止め、立ち入らないことでしか「真の自然保護」は無理だといえる。
もう一度「自然保護運動」とやらを見直してみる必要がありそうだ。

■参考文献:祥伝社新書:「自然との共生」というウソ 著者:高橋敬一 発行所:祥伝社

| | コメント (0) | トラックバック (0)

照明について考える

住宅の夜間やオフィスなどで我々が何気なく使っている照明について考えてみる。
照明の元となる光の種類は、光源別に分けると3つに分けることができる。「燃焼発光」「放電発光」「電界発光」である。
各々、どのようなものかというと・・・・

■燃焼発光
言うなれば「火」の光で、焚き火やローソクである。ランプとしてはシリカランプ、クリプトンランプ、ハロゲンランプ等
フィラメントが燃えて光る白熱電球の類だ。光とともに熱を出すので効率は悪い。
波長的には太陽光の持つ全ての要素(紫・青・緑・黄・橙・赤)が含まれるので人間の目には優しい。

■放電発光
蛍光灯や水銀灯に代表される光である。言うなれば「雷」の様な放電がその原理である。蛍光灯の場合、真空にした管内に放電すると、管内に添加された水銀が反応して紫外線を出し、その紫外線が管内に塗られた蛍光塗料に当たって、可視光線が出る。
波長的には、赤・緑・青のみである。

■電界発光
発光ダイオード(LED)に代表される光である。電気的な刺激を受けると電界発光効果によって発光する半導体素子が光を放つ。
波長は、赤・緑・青のいずれか1つだけである。
消費電力は最も低く抑えられ、熱は殆ど出さない。今後蛍光灯に変わる光源として注目されている。

このように、照明の光源は3つの種類に分けられるが、各々一長一短があるようだ。
燃焼発光は、人間の目には優しいが変換効率が悪ので電力も多く使い、発熱するため冷房の負荷にも影響を及ぼします。
最も普及している蛍光灯は、効率も良く電力消費も抑えられ発熱も少ないので、現段階では最も優れた照明であるが、管内に充てんされている水銀の処理については環境に影響を及ぼさないように注意が必要である。
その点LEDは電力消費が最も少なく、長寿命なため今後の照明光源として注目されており実際に製品化もされているが、一般的な照明器具としての普及には少々時間が掛かりそうである。
そんな中、人間の目には優しいが、効率の悪い白熱灯に対して政府が動いた。
2008年4月に経済産業大臣が、2012年をめどに家庭用照明として広く利用されている白熱電球を廃止し、電球形蛍光ランプへの転換を促す方針を示したという報道である。
そのわずか数日後には、業界2位の東芝ライテックが、年間約4000万個製造している一般白熱電球の生産ラインを2010年をめどにすべて廃止すると宣言した。
このように、温暖化対策の一環として、家庭やオフィスの照明で使われる白熱電球について、電力消費が大きくエネルギー利用効率が悪いことから、国内での製造・販売を数年以内に中止する方針を打ち出したのである。白熱電球に比べ消費電力が少なく、長持ちする電球形蛍光灯への切り替えを促す狙いがあるようだ。
(財)省エネルギーセンターの資料によると、確かにオフィスビルにおける照明の割合はバカになりません。

Blog_20090219_2

全世帯が電球形蛍光灯に切り替えた場合のガス削減効果は、家庭からの排出量の1.3%に当たる約200万トンとみている。京都議定書の目標達成に足りない量が3400万トン~2000万トンなので、これで1割弱の削減ができるということである。
あの温かく感じる穏やかな光源である白熱灯の灯りは、もう見られなくなりそうだ。
効率の良い照明器具に転換しようとする試みは素晴らしいことであるが、現在の消費傾向に無駄はないのであろうか。
いやいや沢山あるではなか。
夜のコンビニの照明は目にキンキンするくらいに眩しい。広告のネオンとか、建物のライトアップ・・・・。
色々と削減しなければならないところが沢山あるのでは・・・。その辺の改善を指導する方がよっぽど削減効果が発揮されると思うのであるが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ゴーストフィッシング

「ゴーストフィッシング」という言葉がある。「幽霊が釣りをしているのか?」との意味に思われるだろう。内容的にはその通りである。日本語に訳すと「幽霊漁業」だ。
その原因となるものは、「カニかご」や「底刺網」である。勿論、私たち人間が開発した漁獲効率が追求された漁具である。
これらの漁具を定置して、そのままそこに残ってしまうとどうなるか。恐ろしいことが起こる。そこに損傷していない漁具がある限り、永久に獲物を捕獲することになってしまうのだ。
「カニかご」の場合、かごの中には餌となる魚の切り身が入れられる。魚の死臭をを嗅ぎつけたカニは、アリ地獄式の仕掛けに入り込む。一度入れば、そこから出るのは困難である。
普通は漁業者が引き上げるものであるが、引き上げられなければどうなるか。カニは次々と入り込み、餌が無くなる。餌が無くなると、やがて共食いが始まる。その死臭を嗅ぎつけ、またカニが入り込む。この繰り返しである。底刺網も内容としては同じことになる。
放置される漁具の被害はなぜ起こるのか。例えばこういう状況だ。
密漁者が拿捕されるとする。勾留期間か続く間その漁具はしばらくの間引き上げられない。もっと最悪の状況は、密漁者が警備艇に見つかると仕掛けに付いているロープやウキを切断し逃走してしまう。そうなると仕掛けがどこに入っているか解らなくなる。その仕掛けは永遠にそこに残ることとなってしまう。
このように使い方を一歩誤れば、漁業資源にとってはとんでもない凶器と化すのだ。密漁を野放しにすることは出来ないが、摘発すれば幽霊漁業に陥りかねないのだ。漁業資源の枯渇が心配される中、この様なことは絶対にあってはならない。
そんな中、幽霊漁業防止策として、カニかごの一部に特殊な繊維を使い、海水にしばらく入れられると破れてカニが逃げられるような構造になっているものが開発されているという。一つの解決策としては最も手っ取り早い方法であろう。しかし、世界的な規模でこの様な対策が成されない限り解決されたとはいえない。
密漁者が潤うからこの様な幽霊漁業が起こってしまう。魚介類にも、肉やその他食料品のように、しっかりとした漁獲ルートの確立とその証明を明確に表示するシステムの確立を急がなければならないはずだ。消費者である我々もその辺を見極める目を養うべきであり、安いからといって安易に購入することを止めればいい。原油高の中、正規のルートでの魚介類が一般よりも大幅に安く購入できるわけはないのだ。安いカニやウニは疑いの目を持つべきである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ゲリラ豪雨

梅雨が明けてからというもの、毎日のように雷鳴が轟き、激しい雨が降る。まさに熱帯地方のスコールさながらである。この記事を書いている今もゴロゴロと雷が鳴り時折激しい雨が降る状況だ。
落雷で電車が止まったり、集中豪雨で下水道や川に激流が押し寄せ、人命に関わるような事故も度々起こる。そんな局地的に激しい豪雨が今年は頻発している。今話題の「ゲリラ豪雨」である。
降雨の範囲が局所的で、降雨時間が短いといった特徴がある。そのため、1時間に100mmを超えるような集中豪雨も珍しくなくなった。1時間に100mmというと、下水道の設計値である50mmを大きく上回ってしまうため、マンホールから雨水が噴き出すこととなる。
ゲリラ豪雨の発生原因ははっきり解明されているわけではないが、原因のほとんどは、前線の通過や接近、大気の不安定などにより発達した積乱雲によるものである。
その他としては、ヒートアイランド現象も要因の一つといわれている。都市部での気温が周辺よりも局所的に高くなることにより上昇気流が生まれる。上昇した空気は上空で急激に冷やされ積乱雲が発生し激しい雨が降る。特に上空に冷たい空気が入り込んでいるときには注意が必要だ。
また、都市部における高層ビル群は平地にできた山にたとえられる。南からの湿った空気がビル群に当たり、上昇気流を発生させる。自ずと積乱雲が発生する。
通常の気象予報には、スーパーコンピューターが活用されているが人工的なことは見積もられていないので、この様な都市型の集中豪雨を予想することは極めて困難な状況であるといえる。早急に都市部専用の気象をシュミレーションするスーパーコンピューターを開発するしかなさそうである。
自然現象と人工物が複雑に絡み合った中でのゲリラ豪雨。今までの経験と知識で判断することは今のところ困難な状況である。
人間は自然の猛威には太刀打ちできない。しかし、地球の気象条件までをも変えてしまうほどの力を持ってしまったようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

ワイルドライフ・マネジメント

最近、特に農村部や中山間地域において、野生動物と人間の間でトラブルが多発している。
山菜採りの折クマと鉢合わせになり襲われたり、イノシシに噛まれたり、シカやサルなどが畑に進入し荒らされたりと、この手のニュースがかなり多くなっているようだ。ついこの前には、都心渋谷に野生のニホンザルが出没しニュースになった。
なぜこのような事故が多発するようになったのか。原因は複数あるようだ。色々考えられる。
・動物のすみかである山が荒れ、食料が少なくなり降りてくる。
・農村部の高齢化により開けた里山の整備が行き届かず、動物たちが侵入しやすくなった。
・犬などの天敵が少なくなった。
・動物の個体数が飽和状態になり分布域を広げざるを得ない状態となった。
これ以外にも複雑に絡み合う自然環境の影響も絡んでいるはずであるが、人間活動の経済状態や社会情勢にも原因がある。農林業の衰退と人手不足である。
戦後、スギやヒノキといったような多様性のない植林を続けてきた影響で、動物の餌となる広葉樹が減少した。更に、林業の衰退で間伐等の治山が行われず、山は荒れ放題となった。
今まで微妙な関係で動物と折り合いをつけてきた接点が次第に崩れてきたということだろう。
そんな状況を何とかして改善できないか。そで生まれたのがワイルドライフ・マネジメント(野生動物管理)という研究分野である。
動物の生態調査や個体数調査をこつここつと積み上げ、保存、保護、保全を総合的に管理しようとするものである。
これを行うには広範囲な研究分野間での協力体制と実績を積み上げていかなければ、なかなか難しいと思う。実行しながら改善を継続していくしかないだろう。
結局は、乱獲と過激な開発を行ってきた人間としての責任であるからやらなければならないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地球環境問題のカギ

かなり前から取り沙汰されていた地球環境問題だが、最近では「地球は、このままではもうどうしようもない状況になってしまうのでは?!」という危機感と深刻さが先進各国で叫ばれるようになった。
7月7日から9日の3日間、主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)が開かれる。その焦点は「温室効果ガス半減」である。
私が就職したのはバブル経済の2年ほど前である。正直、バブル時代には世界的に地球環境を危機的状況として取り扱うような時代になるなどとは思ってもみなかった。造っては消費するという大量生産、大量消費の社会構造が圧倒的に有利な時代だった。そんな生活が永遠に続くという錯覚を覚えていた。
自分なりに地球の未来については考えていたものの、これだけ世界が騒ぎ出すとは予想外といってもよい。このまま人類は消費生活を続け、やがては滅びていくんだろうな?などと悲観的に思っていた節もある。だから、自分としてはこの様に世界が騒ぎ出すような状況になって良かったと思っている。
何しろ自然相手に遊んで育った環境にいたので、年々あちらこちらで我々人類の自然破壊が目についていたからだ。このままでは、遊び場所が無くなるではないか?!これから生まれる子供達が可哀想ではないか?!自然を学べないまま大人になってはもう遅いではなか!といった自分なりの言い分があった。
多分、ベストセラーとなった「不都合な真実」を書いたアル・ゴアさんだって、そんな身近な危機感から色々と研究を重ねてこれだけ世界に影響を与えるべく著書を世に送り出したに違いない。
先進各国が地球に蓄えられたエネルギー源や資源を消費していく中で豊かさを得てきた世代には、少なからず地球環境に対する危機感は持っていたはずである。または持っているはずである。まさにその世代が今、地球環境問題解決の中心となり世界に発信しているといっても良いだろう。
私だって地球のことを心配していたのだ。そんなことを考えて思った。一人一人の「思い」は世界にも繋がっているんだということを。
昔遊んだ海や川や山。不便だが豊かな生活を送っていた時代。そんな世の中を無くしてはいけない。こういう思いを持った人々が意外と多く居たから世界を一斉にこちらを向かせるような時代になったのだ。
しかし、いままで先進国が歩んできた道のりを考えれば簡単に進められるような問題ではないのがわかる。我が国の環境技術を積極的に提供しなければならないし、それなりの援助も必要であろう。それらを考えれば「洞爺湖サミット」でどのような内容になるのか非常に興味がある。
二酸化炭素排出を抑えるためにはバイオ燃料が良い。しかし、発展途上国では深刻な食糧問題が頻発。原油の高騰。水資源の枯渇。ありとあらゆる問題が複雑に絡み合い、問題山積である。はたして成功といえるまでの決議が出来るのか?とても難しいと思う。
行き着く先は、いずれにしても我々個人がどれだけ行動できるかが今後のカギになることは間違いない。考えてみれば、知らず知らずの内に、自分の生活の中でも省エネ思考が進んでいる。
例えば、車の運転では急発進、急ブレーキは極力裂けるとか、照明をこまめに消すようになったとか、必要以上にお湯を沸かさないようにしているとか・・・・。自分で言うのもおかしいが、少なくとも我が国では、省エネ思考が一般人にも普及しているということの現れであると実感するのです。
一人一人の思いは世界と繋がっていると先述したが、やはりこれしか無いでしょう。会社の仕事は民間の中で活用されるし、家での生活やレジャー等、地球環境問題への対策はあらゆる方面で実行可能で応用も出来るはずである。
今まで個人としても便利さを追求する生活に遅れないように気に掛けていたが、もうこんなもんで十分でしょう。これ以上何が便利になり得る?便利になって良いことか悪いことかを自分で冷静に判断して生活していこう。
それが私の出来ること・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

エコトーン

「エコトーン」という言葉が最近読んだ本に出てきた。
あまり聞き慣れない言葉だが「ビオトープ」だったら生物環境改善の観点からも、かなり前から話題になっている。
「ビオトープ(ドイツ語:Biotop)」とは、生き物が生きていく為に必要な場所のことである。日本語としては「生物空間」とか「生物生息空間」と訳される。
我が国では、護岸等で人工的に改変された河川や湖沼などをより自然の形に戻し、多様な生物環境を修復させる目的で造られる空間を意味することで使われることが多い。
しかし、本来「ビオトープ」の概念としては水辺環境だけにとどまるような隔たった意味ではないようである。水辺環境だけでの意味合いではないのだ。
我が国で「ビオトープ」の概念がなぜ水辺環境に重視した意味合いになってしまったのか?
それは、昔から水田風景と多様な生物環境を有していた里山の環境破壊が進み、身近に見られた多くの生き物が姿を消すような事態に直面したからである。
また、学校教育の面からも手っ取り早く造ることができ、人為的に再生された自然生態系の観察モデルとして注目されることとなった。
この様に、学校や民衆レベルで活発な運動となっているが、残念ながらその対象がトンボだったりメダカ、ホタルだったりと、その地域に象徴的な生物に限定されるものになってしまっているのが現状であるようだ。
本来の「ビオトープ」の概念からは少しばかり逸脱した状況が実際であるが、自然環境が極めて少ない都会の子供達にとっては良い教育かもしれない。
さて、戻って「エコトーン」についてである。
聞き慣れないこの言葉であるが、「湿地や干潟と陸地の境界(水辺や海辺)など、一つのまとまりのある生態系から別の生態系へ移行している場所」を意味する。
海や湖沼、河川と陸地をつなぐ「エコトーン(移行帯)」は、環境としては比較的広範囲に及ぶため注目されづらいが「エコトーン」も解釈としては広大な「ビオトープ」なのである。
海の「エコトーン」は様々であるが、陸域から発生する塩性湿地を有した干潟は、その代表的な環境である。塩性湿地の芦原は潮の干満にによる「エコトーン」の正に中心に位置する。
芦原から干潟、浅海と変化に富んだ海の「エコトーン」は埋め立て等の事業によって、特に首都圏その他の大都市圏のほとんどで姿を消してしまった。
東京湾奥で唯一難を逃れた芦原が存在する谷津干潟があるが、残念ながら孤立しており、浄化能力の限界だろうか、夏になるとかなり臭う状況である。東京湾内で健全に芦原が育っている塩性湿地としては、木更津市小櫃川河口を除いて他に存在しないだろう。
海の「エコトーン」は、多種多様な生物の宝庫である。
干潟ではアサリや牡蠣、ゴカイなどが有機物を大量に濾過してくれるお陰で、海は綺麗に保つことが出来る。
アマモなどが群生する浅海の藻場は、仔魚の隠れ家及び餌場となる。そこで育ち、力をつけた魚は藻場を離れ沿岸域へ旅立つ。
岩礁帯ではワカメや昆布が根付くことによりウニやアワビの餌場を形成する。
海産物の揺りかごである海の「エコトーン」は、健全な漁業を営むためには欠かせない環境である。
その環境を何とか取り戻せることが出来れば、日本の漁業も継続的に続けることが出来るに違いない。
陸と海は繋がっている。
そのキーワードは「エコトーン」だ。
本当の生態系豊かな海を見てみたいものだ。想像するだけでもウキウキしてくる。
そんな環境を取り戻せたとき、人類は、真の自然との共生というものを実感出来ることだろう。
果たしてそれは出来るのだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バーチャルウォーター

今日はちょっと水の話であります。
日本は世界でも指折りの「安全な水」を得られることでも有名な国である。年間を通して降水量も安定しており、各家庭に配水される生活用水が不足する事態はよほどの異常気象でない限り皆無といっても良い。
こんな水の溢れる国に住んでいると、水の有り難さを気にしたことはないだろう。現に私も毎日大量の水を使っているが、「有り難い」なんて思って使っているわけではない。
しかし、世界を見渡してみると、日本のように、これほど豊富な綺麗な水を使える国は他には無いと言っても過言ではないだろう。
地球規模で考えてどれだけの水を我が国は使っているのだろう?そんな考え方を算出する方法として、「バーチャルウォーター(仮想水)」という考え方がある。二酸化炭素排出量の概念である「フードマイレージ」と同じような考え方であるが、これは水の消費に関して数値化する考え方である。
ところで、水は私達の生活の中でどのような場面で使われているだろう?
使用量の順に並べてみる。
①トイレ
②シャワー・風呂
③飲料・炊事
「出典:東京都水道局」
この内、東京都の場合だが、トイレで約3割が消費される。これにシャワーや風呂を含めると半分以上が消費されているそうである。
日本国内全体の水の消費量は年間に580億立方メートルである。ところが、輸入した食料品や工業製品の生産に消費される「バーチャルウォーター(仮想水)」はそれを上回る640億立方メートルなのだ。
この状態から導き出されることは既にお解りでしょう。日本がいかに輸入に依存しているかが見えてくるのだ。
それでは、「バーチャルウォーター(仮想水)」のランキングを見て輸入をどこの国に依存しているかを見てみよう。
①アメリカ     :389億立方メートル
②オーストラリア : 89億立方メートル
③カナダ      : 49億立方メートル
④南米各国    : 25億立方メートル
⑤中国       : 22億立方メートル
⑥ヨーロッパ各国 : 14億立方メートル
⑦韓国       : 13億立方メートル
「出典:環境教育・環境学習データベース」
こんな具合である。
つまりは、これらの国の水を他国で消費しているということであるから、日本の消費している水は膨大なのである。これだけ他国に頼った生活を続けているのだから、他国の異常気象は他人事ではないのだ。アメリカが大干ばつを起こせば大変なことになるのです。
だから、何度も言っているが、今の内に食料自給率を上げなければならないのであります!更に地球環境を守る努力をしなければならないのです!ということを言いたい訳!
しかし、こんなことを色々と考えていると、日本という国は環境問題に対して、果たして熱心に取り組んでいるのだろうか?などという思いが沸き上がってくるのは私だけであろうか?便利な生活は快適だけれど、地球環境はもっと大事なはずだし・・・。
なんだかとっても難しいんですけど!?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フードマイレージ

地球温暖化対策の一環として、二酸化炭素の削減が叫ばれる中、「フードマイレージ(food mileage)」という概念が最近広まりつつあるようだ。「食料の輸送距離」という意味で、重量×距離(ton・kmトン・キロメートル)で表される。輸送に伴うエネルギーを出来るだけ減らし、環境への負荷を軽減しようという運動である。
食品の生産地と消費地が近ければ小さくなり、遠くから食料を運んでくると大きくなる。言うなれば、「地産地消」の概念と同じような内容である。
数値が大きくなればなるほど、地球温暖化に貢献してしまうというわけだ。食糧自給率を高め、食料の生産地と消費地を近くせねばならないということにも繋がる。
1994年にイギリスの消費者運動家のティム・ラング (Tim Lang)氏が提唱した概念で、もともとは「フードマイル(food mile)」と呼ばれていた。
日本では、農林水産省農林水産政策研究所によって2001年に初めて導入された。平成12年の同研究所での試算によると、我が国の総マイレージは、5,002億(ton・km)。ちなみに、お隣韓国では、1,487億(ton・km)。アメリカは1,358億(ton・km)である。圧倒的にトップである。1人当たりの年間食料輸入量の約420キログラムで割ると、平均輸送距離は10,000キロメートル弱になる。環境立国と呼ばれるには、甚だ恥ずかしくなる数値である。
様々な国際会議で、二酸化炭素削減目標を掲げているが、果たして、自国で排出する二酸化炭素の量と、この輸送に掛かった二酸化炭素の量を合わた数値で考えているのだろうか。
そんなわけで、環境問題を考える上でも今後ますます「食糧自給率」を高めることが欠かせない事項となってくるはずである。
やはり、日本の「農業」「漁業」「林業」などの第一次産業は「大切にしなければならないなぁ~」とつくづく感じる。
食品産業などでも、この「フードマイレージ(food mileage)」の概念が広まりつつあるようだ。時代は、食糧自給率アップの方向へ進もうとしているように感じる。
さあ、今後の我が国の行方は如何に?!
地のものを食すということは、旬のものを食べることであり、新鮮で最も美味しいのだ!
地のものを極自然に食卓に並べられる時代が来ると良いと思う。
ちょっと面白そうなサイトを見つけたので紹介しておきましょう!

環境省の平成17年度地球共同実施排出抑制対策推進モデル事業に選ばれた
「大地を守る会」の「フードマイレージ・キャンペーン」
http://www.food-mileage.com/

| | コメント (0) | トラックバック (1)