映画「Blood Diamond」

昨日の午後から今日の昼頃まで雨が降りっぱなしだった。釣りに行けないこんな時には、衛星放送のWOWWOWで映画を見るのが一番である。
何気なくテレビをつけ、これを見ようと決めつけている訳ではないが、思わず引き込まれてしまうような映画が時として出現する。今日はそんな映画に出会った。
レオナルド・ディカプリオ主演の「Blood Diamond」である。後でわかったことだが、第79回(2006年度)アカデミー賞では主演男優・助演男優・音響編集・録音・編集の5部門に、第64回(2006年度)ゴールデングローブ賞では主演男優賞(ドラマ部門)にノミネートされた映画である。
この映画のキャッチコピーは「ダイヤの価値を決める“4つのC” color(色)cut(カット)clarity(透明度)carat(カラット)・・・しかし、実は5つめのC”conflict(紛争)”が存在することをあなたは知る」である。
ダイヤモンド産出国であるアフリカの西部シエラ・レオーネ共和国等において、反政府勢力である「革命統一戦線(Revolutionary United Front、略称RUF)」が内戦を引き起こし、長引く紛争となっていた。この反政府勢力がダイヤモンドを不正に輸出し、それを資金源としていたのである。
多数の住民の殺害、手足の切断、暴行などを行い、村々を焼き払った。それにとどまらず、少年少女を拉致し、麻薬漬けにした上で少年兵として勢力に組み込み戦闘を拡大させていたのである。実際にはシエラ・レオーネ政府軍も少年たちを兵士にしていたのも確認されている。
2004年に国連により7万人以上の戦闘員に対する武装解除が終了したが、ダイヤモンドを巡る紛争は未だ続いているという。
ダイヤモンドは、本来現地の人たちにはほとんど関係のないものである。ダイヤモンドを価値のあるものとして扱っているのは先進各国である。それを買い付けるのも先進国である。勿論、紛争による不正輸出のダイヤモンドもそれらに含まれているのだ。
そのような「紛争ダイヤモンド」の取引問題が国際社会の関心となり、2000年5月、南アフリカのキンバリーにて、ダイヤモンド原石の取引規制の検討を目的とする「ダイヤモンド・テクニカル・フォーラム」が開催された。
その後キンバリー・プロセスとして数回の会合が開催され、会合には、政府関係者の他、NGO、関係業界団体等が幅広く参加するようになり、ダイヤモンド原石の取引に係る国際認証制度の策定が進められることとなった。
そして、2003年1月1日から制度が開始することが決定された。これが「キンバリー・プロセス証明制度」である。
この映画「Blood Diamond」は、紛争とダイヤモンド取引に警鐘を鳴らすものであり「キンバリー・プロセス証明制度」が開始された経緯と、それがなぜ重要なのかを問うたものである。
この問題は内部紛争や国際的な色合いが濃いようでありながら、実は私たち消費者の意識の問題が最も影響しているのも事実だ。買うなとは言わないが、「人間の欲」というのものは、思わぬところで影響し合っているということは忘れてはならない。
欲は人間にとって失うことは出来ないものであるが、欲を出すときには「ちょっとまてよ?」と、少しでも考える時間は大切かもしれない。グローバル社会とうたわれるようになって久しい。世界的な視野で生きていくことが、これから一層重要になってくるであろう。

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夜回り先生

今週末も強風が吹きまくり、釣りには行けず、暇な週末を迎えていた。
昨日の夜中。正確に言うと今朝ですが、NHKのチャンネルを回すと「夜回り先生」こと水谷修先生の番組が放送されていた。最初は付けっぱなしにしていて何気なく見ていたのだが、時間の経過とともにのめり込んでしまった。その場面は、小学校、中学校、公民館での講演会の場面。話の内容は、現代の子供達の苦しみと、惨憺たる現状だった。
ちょっと前に、「夜回り先生」として報道番組の特集か何かで見ていたはずなのだが、これほどまでに凄い人だとは思わなかった。一人だ。一人で子供達がらの苦しみを受け止める過酷すぎる仕事をしていたのだ。
リストカット、OD(オーバードーズだったかな?間違っていたらごめん・・・)が主題だったのだが、そればかりではない子供達の惨憺たる状況の中で、言うなれば心のケアに人生を傾ける。それら放送内容に衝撃を受けた。リストカットに至っては何と7%の子供達が経験しているようだった。信じられなかった。自分で自分の体を簡単に傷つけてしまうことをそんなに簡単に・・・?。心の病のオーバーブローがその行為に掻き立てているようだった。学校でいじめられ、家庭に帰っても親にあれやこれやとうるさく言われる。子供の心は安まる暇がない。だから自分を責める。「自分病」と言うらしい。
毎日何百通というメール。電話はひっきりなし。毎日、毎日。そんな中でも講演会に追われる毎日。子供達からの心の叫びを聞き続ける。毎日深夜まで眠れない状況のなかで聞き続ける。この人はどうしてここまで出来るのか?はっきり言って自分の体はボロボロになっているようである。とても不思議に思った。「この仕事をしていなかったら私は死んでいた」とまで言っていた。
世間では有名人かも知れないが、私にとっては、まだまだ未知の人「水谷修」さん。早速、ネットで本を調べて2冊購入。どんな人間なのか?とても、とても興味がある。
これこそ、本当の人間としての仕事だと感じたあの番組を見て、今や最大の関心事である。
水谷修さん(まだ先生とは自分では判断できないので、敢えて”さん”付けだ)、一体何者だ?!ひょっとしたら、「私としての最終の目標とする人間かも知れない」とまで感じてしまったのである。

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ユリばあちゃんの岬

ちょっと前の話になりますが、これは是非書いておきたいと思って、忘れていた・・・・。
昨年の11月12日、NHKスペシャルで「ユリばあちゃんの岬」というドキュメンタリー番組が放送された。世界自然遺産に登録された知床岬のほど近くで、春から秋の間だけ海岸線の番屋で過ごすおばあちゃんのお話。道産子育ちの私も圧倒される番組だった。
小さな番屋は、海岸に打ち上げられた昆布漁をするためのもの。そこは、ばあちゃんの立派な(物理的な立派ではないですよ)生活の場でもある。風呂は、大きな釜。ストーブは流木を利用する。食料は自給自足とまでは行かないが、それに限りなく近い。タンパク源は、海からの恵みで事足りる。何かに追われたカタクチイワシが海岸まで打ち上げられる。ばあちゃんは、喜んで拾う。ストーブであぶって食う。外には時折熊が現れる。ばあちゃんは、驚きもしない。「こっちに来てしまったら仕方がない」って、気楽な顔で言う。自然を知り尽くした言葉だった。息抜きに、岬へ登る。そこには、綺麗な花が咲き、エゾシカの群れが戯れる。こんな自然、生活が一番好きだと言う。自然を目一杯利用し、真っ向から向き合って生きていた。そんなばあちゃんをたくましいと思った。
私も自然は好きだし、できればそんな大自然で生活もしてみたい。しかし、実際出来るか?いや、出来ないでしょうね。多分、数週間でダウンでしょう・・・。でも、これが本来の人間の姿だと思った。都会で生まれ、人生を終えていく人間も居れば、こんな大自然の中で、慎ましく生きている人間も居る。どっちが幸せなんだろうか?
人間は他の動物と全く違った進化を遂げてきたが、あくまでも、自然の中で進化してきたはず。その自然から培ってきたものを果たして忘れ去って良いものだろうか?
人間の最近の異様な行動は、この自然を忘れているからではないか?楽しさ、厳しさ、ありがたさ・・・、そんな経験が有るか無いかで、人間って変わるんじゃないかな?
そんなことを考えさせられる番組だった。
都会に居ても、たまには自然の美しさに感動したり、厳しさに翻弄されたり・・・・、そんなこと必要だよね。
だから私は、週末どっぷりと自然に浸かる。

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